『スクラップ・アンド・ビルド』:羽田圭介
できることなら介護者、被介護者のいずれも避けて通りたい。しかし誰も避けることはできない。『スクラップ・アンド・ビルド』は、「被介護者の祖父」と「介護する孫」の二人の姿を通して、老人介護の本質を浮き彫りにしている。
「祖父と孫」の関係であることが面白い。子供は頼りにならないし、こんな孫がいたらな-と思ってしまいました。優しすぎず、それで愛がある良い小説です。
こんなストーリーです
甘やかさない「引き算の介護」
「お母さん、お皿、お願いします」
食べ終えた皿を祖父が差し出すと、母は舌打ちした。
「自分で台所まで運ぶって約束でしょ、ったく甘えんじゃないよ、楽ばっかりしていたら寝たきりになるよ」
娘に怒られ下を向いた祖父は渋々立ち上がり、左手に皿を、右手に杖を持ちゆっくり台所へ進む。
母は働いている。日中は、三年前から同居を始めた祖父87歳と、七ヶ月前から無職の孫の健斗28歳の二人である。
母も孫の健斗も祖父を厄介者にしているわけではない。ただ、祖父に自分でできることはさせる「引き算の介護」である。それはそれで忍耐がいる。
痛い、死にたいを訴える祖父
「痛い、痛い、もう死んだほうがいい、死にたい」を毎日繰り返す祖父。苦痛を訴える祖父を何度も病院に連れて行ったがし、いますぐ死ぬような深刻な病気はない。本人しかわからない苦痛、不快感があるのだろうか。
尊厳死させるのが孫の役割ではないか?
健斗はある思いに至る。毎日痛みに耐え続けて、その先に回復の希望がなかったら本当に死にたいのではないか。しかし自分で家の階段から跳び下りても死ぬ勇気などない。それなら勇気がない老人を尊厳死させるのが孫の役割ではないか。
過剰な介護「足し算の介護」で弱らせよう
早く尊厳死させるためには、なんでもやってあげる「足し算の介護」だと考えた。その結果、祖父の脚の筋肉が弱り、体全体の機能が弱り、祖父の「死にたいと」と言う望みをかなえてあげられる。「足し算の介護」にはハードワークがともなう。
自分自身も変わっていく
そんななか、健斗自身もあることを悟り変わっていく。老人を弱らせる逆をやれば、全ての能力は向上するはずだ。そして、自分に過酷筋肉トレーニング課し、使わないものは退化するとオナニーで日に三回射精し、さらに再就職のための勉強を始めた。
間違っていたようだ、生きたいのだ
しかし、ある日祖父を風呂に入れた時、祖父は「おぼれる」と言って、自分の腕にしがみついて離さない。胸しかない浴槽で溺れるはずがない。しがみつく手をふりほどき、トイレに行って、リビングで小休止した。風呂の戸を開けて驚いた。祖父が手をばたばたさせて溺れいる。
びっくりして引き上げた…祖父が口を開いた。
「ありがとう健斗が助けてれた、死ぬとこだった」
健斗は間違いに気づく。生きたいのだ、苦痛でも…生にしがみついていたいのだ。
別れ、二人の成長
就職が決まった。家を出て勤務先の茨城に行くことになった。
「茨城なんか近いんだし、余裕ができたらまた戻ってくるよ」
「じいちゃんのことは気にせんで、頑張れ」
「健斗には健斗の時間があるけん、来んでよかよ。じいちゃん自分のことは自分でやる」
ユーモアもある小説です。読んでみてください。
